自分の思考は正確な言葉にならない


2024年11月24日 11:30 noteより転記


じぶんのいばしょをさがしている。

ずっとズレているから、一処に留まれない。飽きてしまうのもあるし、違和感を感じてしまうのもある。先になにかを見たから変えるのかもしれない。

――まあそんなかんじで

自分のやろうとしているポンコツがフォルマリズムとしてあり、シュルレアリスムやダダイズム、コラージュなどの手法としてすでに確立されていることに助けられる、新しいことが やりたいことではなくて、私の詩はそうだという、確証になるので。でも本当にそうであるか、真実には成らないけどね。

わからないもの――。

まあ呼び名なんて括りなんてどうでもいいんだけども、説明すんのに共通にすんのに必要なだけだよなあ全部(雑)

ただ難しく考えずに自分の気持で動いても問題ないんだ、ほんとうは、みんなそうなんだけど、私ばかりが無駄に馬鹿みたいに考えすぎてしまうんだなとわかっちゃいる。(いやどうだろうね)


何を書いてるかって言われたら、自分を書いてるんだ

ちっちゃくてしょうもなーい、自分を書いてるだけ。自分を書き出し続けて、何もなくなったら、もう書く必要もない。まだまだあんぽんたんな私自身になれてない気がする。言葉に出てくる前の自分がいるはずなんだよ

結局 じぶんのことばで綴っているだけだからなあ 自分の人生感を自分の考えを言葉になる前の元の状態にあるものを、書き出すために語彙を駆使し、そのまま引き出したいだけ書き上げたいだけだ

何処まで作り込めるだろうな……やるだけやってみるけど。完成を目指しているわけじゃなくて、いまある文字がどう置きたいのか、「おまえ(書きかけの詩)どうなりたいん??」その姿を探しているかんじ。でてこねえもの無理やり作っても納得できなきゃ出来上がらねえからさ。

どうにかしてやろうと思って生きてきた、理解できるように努めてきた、人間としての経験が何とか自分をここに立たせている。詩はそれをしなくて済む、それだけだ。 バカの思考は正確な言葉にならないのでああなるだけだ

だからなにか言葉ばかりが表に見えてしまう。表層を受け取られる。と、考えれば考えるほど真実とは遠ざかる。ようは考えていることに対してうまく言葉があてがえてねえんだなと

どういじったらいいかなとおもって、ずっと眺めてる。この語彙はどう重ねられるのか、なにが視えてくるのか、目を奔らせている。(んで、いつも書きすぎなんだよ。だって一文あるだけで、あれやこれと思いつくので楽しくなっちゃう(-_-;))

ただ、だいぶ自分の感覚が異質だとおもうので(まだまだ自分は物を知らず狭いところにいるのでそう感じるのですが)、これが他の誰かに触り得ることができるものなのか、との問いであれば、ムリだろう、と応えは推測されるけどね。問題ではないから、鑑賞して何かしら立ち止まることが可能なら、御の字ではあるけど

難しいことではない、言葉を読み取るのではないこと、意味が書かれているものでないこと

ただ突き詰めれば突き詰めるほど、自分がどれだけ わけわからない存在か、突きつけられます(*_*;

「ねえ、なんか、大丈夫かなぁ、」と人に合わせるみたいな思考がね、いらないと思うんだけど、でもやっぱりどうなんだろう、私はね、本当に外れてる人なのでやはり不安しかなくてずっとずっと自分と対峙して、自分の納得だけ。なんだよね……あゝ

あくまでこう自分の頭の中にある、もやもやとしたものをさ、どうしたら、移し出せるのか? 言葉として、正しく出てこれない状態の、其のもの をどうやったら文字として素直に表せるか。わたしの詩は 意味が分かるとか、何か見えるとか そうじゃないんだよね ❤︎⍤⃝

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