わからなくていいんですけどね。なんか楽しめたらいいよね
2024-08-28 18時41分
ことばとき・艸 に置かれているものは、じぶんのなかでナガモノとよんでいて、一風変わった書き方を敷いている。
このナガモノに関しては 一つ凝ればいいものになる 程度のことを、全部盛り込もうとしてるから、わからない 煩い文面のくせに何一つ残らないもの になるのだろうなと、わかっていてやっている。
まあ探求ですね。なので毎回変化していくことでしかない
だからいまこうやって書き残しているけれどもつぎが書けるかどうかもわからない。
ただわたしにとっては普通に書くほうが負荷がかかる。すごい胡散臭い、そうじゃない感がすごい。可読性考慮したらそれ嘘書くことになるだろうな
自分は常に頭の中が煩くて自分と対話しているようなやつなので、詩作はそれをずっと書いている感じでしたが、流石に二千篇も書くともやっとしたものしか見えてこなくなるわけで、
そのわだかまるもやもやを言葉にするのに、このナガモノに関しては端材を集めては再構築するかたちで奔らせていますから。結局なにかを書こうとおもって答えを書き記している訳では無いので、かかれてしまうことは、ただの衝動が尽きるまで書かされる自問自答の結果なのだと今はおもいますね
2024年8月10日 22:38
どんなデタラメを書こうとおもっても、自動筆記では思考は一文として表され、句読点で変調するにしても、なにかしらかろやかに紐付いてしまうとおもうんやが。
いま、放置してた 溶ける魚 めくってみてるんだけど。意味云々じゃなくて文面として普通に読めるんだけど、何かつまらんなと……
んーぼくがよくやる端材の作り方は、オートマティズムを基本としてるけど、てきとーにかいたりするんやけど、あとは、そのへんの書物な、よくやるのは辞書だけど無作為ではないんだよな。なにかしらのイメージを構築していくようにしていて。意味を持ってつなげていくのだけど。どうせバラすのだけど。
そうそう、だから これはワードサラダ(パプリカ構文)ではないよ
デペイズマン(日常から切り離した意外な組み合わせを行うことによって、受け手に強い衝撃を与えるもの)とはしたくないわけで、そうするとやはりコラージュだとおもっているが
コラージュと云うとどうしても切り貼りされたものを思い浮かべると思うんですがそこはなだらかに一枚の一篇の詩として置いているので……わかんないよね、ごめんなさいな
ちゃんと一文ごとの意味もあるように。それをあみあみして、何度も繰り返し形をイメージと固めていく感じ。文字がある程度揃ってから、組んでバラす推敲は平均10稿ぐらい行っていてできあがりまでニ週間はかかるんや
まあようは自動筆記では意味を与えてしまうから、何も見えないように書くのって実はものすごく面倒なんですよわかりましたか? わからなくていいんですけどね。なんか楽しめたらいいよね、そういうひとに届くといいな、その程度です。読み手に期待することなんて、ないです
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